今まで見て見ぬ振りしてきたこと
今日は、コーヒーのことを書こうと思っていたのですが、
それよりもなによりも、今大切な浄化が始まったので、ここに吐きだす意味でも書いていこうと思います。
仕事も山ほど残ってるんだけど、これを書かないとやりきれない!
ので、お時間のある方はお付き合いください 笑
先日行なったまほうのコーヒーのワークショップであまりの緊張感から、喉が詰まったような感覚で話しづらくていました。
そのとき以来、誰かと話をするときに同じようになることがあって、
そして昨日その原因を探るきっかけをもらいました。
そうしてわかったのは、
実の父親のこと。
結婚式を挙げるときに、もう終わりにしようと決めて、忘れてきたこと。でも無理やり忘れようとしていただけで、実際はなにも解決していなくて、今回こうして身体の変化として現れた。
今までにも何度かあったんだけど、それを見て見ぬ振りしてきたんだよね。気のせいだって…そのとき起こる目の前の問題ばかりに着目して、その奥を全く見ていなかった。
いま目の前にいるわたしの娘は、1歳4ヶ月。子どもはわたしが思うよりずいぶんといろんなことを理解しているし、感情もはっきりとしている。
そう考えると、わたしもそうだったんだと気づく。
記憶には残っていないので、なんとも言えない部分もあるけれど、
娘はパパのことを大好きで、パパも娘のことが大好きで
それはわたしも同じだったんだって思い出したら、涙があふれた。
寂しかった。
産まれた横浜から福岡へ行ったとき、わたしはすぐにお父さんのところへ、横浜へ戻るのだと思っていたことも、うっすら思い出した。それなのに、気づいたら、母は仕事をしていて、車も買って、わたしは幼稚園へ通い、小学生になっていた。
母親からは、浮気した父親はだらしがなくて、まったくひどい男だと聴かされ、お父さん=悪い人、男=ダメな人、そんな印象を固くつけられた。
本当の本当は、お父さんのことを大好きだったのに。
お父さんは、きっと育児に真剣になっているお母さんに自分のことを見て欲しかったんだと思う。それはお母さんもそうで、でもそれをお互い口には出していなかったんじゃないかな…だからお父さんは他の女の人のところへ行った。
自分のことを見て欲しい、愛して欲しい…
わたし自身、恋愛、人付き合い、すべてにその気持ちがあったような気がする。
わたしの人生のテーマでもある
愛されたい。
でもこれは、本当はその裏返しで、愛したい
んじゃないかと思う。
むしろ、愛してる。
それから高校生のとき、母は再婚した。そのときは、まるで母親をとられたかのような錯覚で、結婚式の夜お布団の中で大泣きしたのを覚えている。
お父さんがいなくなって、お母さんまでもいなくなるのか…みたいな失望感。実際は、いなくなってはないけどね、それまでわたしのことだけを見てくれていたはずなのに、なんで??!って思ったのよね。
今の今まで、寂しさを押し殺して、お父さんのことを好きな気持ちも押し殺して、無理やり生きてきた。もうこんなのおしまいにしたい!!
感情を押し殺して生きることなんか、もうおしまいだ!!!
苦しかった…
怒りも悲しみも寂しさも辛さも
ぜーーーーーーんぶ
押し殺して
喉が詰まるのもあたりまえだよっ!!!
あーー苦しかった!
あーーーーもうこんなの嫌だ!
そして、子どもたちに今まで怒鳴ってきたこと
改めてあとで謝ろう。子どもたちにとっては、ナンノコッチャやろうけど 苦笑
無意味だし。
わたしの中の怒りを無意味に彼らにぶつけることは、小さなわたしを傷つけるだけだし。
それよりも小さなわたしのことをもっとみて、気づいてあげられたら、きっと今ここにいるわたしはもっと強くなる。
やさしくなれる。
他人にも自分にも。
読んでくださった皆様、ありがとうございます♡
merci